「札幌市電唱歌」 (1)【西4丁目→西15丁目】
まず、1枚の写真から。
ここは僕の家の前です。
線路の上には、黄色い木造の電車。それを歩道から見ている、帽子を被った子供が僕です。昭和52年(1977年)の札幌市営交通50周年を祝って、開業当時の貴重な車両が走行したときの写真です。
この木造電車が走った1週間、僕は毎日4回ずつ欠かさずに見送りました。やがて運転士さんが僕のことを覚えてくれて、僕の前で一時停止してくれるように。
最終日には、僕が描いた電車の絵を、運転士さんが電車を停めて受け取ってくださいました。電車だけではなく、道路を走る車も停まってくれました・・・。
あれから35年。
電車が大好きな5歳児は、電車が大好きな39歳「ブラサトル」になりました。
■いま、札幌市電が熱い。
その昔、札幌市内を縦横無尽に軌道が敷かれ、市内交通の花形だった市電も、地下鉄開通と交代するように縮小された結果、わずか8kmあまりの1系統を残す
のみ。
少し前までは「時代遅れの乗り物」といわれ、クルマ社会からは邪魔者扱いされ、全面廃止さえ検討されたこともありました。
それが最近になって、環境や人へのやさしさから市電が見直され、ついに、路線延伸と新車両の導入が決定!まずは「欠輪環状線」だった現行路線を2〜3年後にループ化。昭和48年(1973年)に廃止された駅前通の市電軌道が、40年ぶりに復活することになりました。
いま、札幌で最も熱い乗り物といえば「市電」です。
僕はこの感激を何とかして形にしたいと一念発起。そこで、明治時代に作られた日本一長い歌、「♪汽笛一声新橋を
はや我が汽車は離れたり」の出だしで有名な「鉄道唱歌」(このブログでもおなじみですね!)になぞらえ、札幌市電沿線の風景や歴史をまとめた「札幌市電唱歌」を作りました。
現在、市電が走るのは、札幌でも旧市街中の旧市街といわれるエリア。札幌の成り立ちが凝縮されています。古いものと新しいものとが混在する不思議な風景の中を、「札幌市電唱歌」と一緒に散歩に出かけましょう。
和田哲 作「札幌市電唱歌」
1 【西4丁目】
4プラ前の十字街
雨音消えて 雪となり
西四丁目の電停で
乗り込む電車の暖かさ
■4丁目十字街
市電の起点があるのは、4丁目プラザ、三越、パルコ、日之出ビルに囲まれたスクランブル交差点。
メインストリート同士がクロスする、札幌で最も華やかな交差点です。昔は市電の軌道もここで交差していました。札幌の交差点には基本的に名前がないのですが、ここは古くから「十字街」と呼ばれていたそうです。最近はあまり聞きませんね。
2 【西4丁目】
札幌開府(かいふ)の その初め
大友堀(おおどもぼり)と直交し
原野に引かれし この道ぞ
都市の基(もとい)と なりにけれ
■大友堀(創成川)と銭函道(南1条通)
電車は、南1条通を西に向かいます。この道、現在は国道でも道道でもありませんが、札幌の建設が始まったころは、大動脈とも言えるとても重要な道路だったのです。
江戸時代の終わり、幕府の役人として現在の東区に入植した大友亀太郎は、用水路「大友堀」を掘削しました。これが札幌に最初に引かれた南北方向の直線であり、後に創成川となりました。
明治2年(1869年)に開拓判官として札幌の原野に入った島義勇は、この大友堀を札幌の都市計画の基準としました。銭函への曲がりくねった街道を整備、
札幌付近を東西の直線道路とし、大友堀と「直角」に交差させました。それが現在の南1条通の始まりです。そして、その直角交差点=創成橋こそが、札幌の
「碁盤の目」の最初の「一目」となったのです。
3 【西4丁目】
北に横たう 大通
ライラック咲く 春の午後
ビールに酔うは 夏の夜
雪の城建つ 冬の朝
■大通公園
札幌にあって、日本の他都市にないもの、それが大通公園です。「広場」が都市の中心になっているのは、ヨーロッパの都市に似ていますよね。
そもそもは、町人地(南側)の火事が官庁(北側)に延焼しないようにするための「火防線」として設置された、前代未聞の50間幅の道路でした。「分断」のために作られた場所が、いま人々の「交流の場」になっているというのは面白いことです。
4 【西8丁目】
レトロとモダンが入り交じる
西八丁目を過ぎ行けば
サンキチさんと人の呼ぶ
三吉神社は右にあり
■かむほどに味が出る界隈
4丁目から8丁目は、古い建物と新しい建物、デジタルとアナログ、カルチャーとサブカルチャー(?)が同じ場所で仲良くしているような、不思議な味わいの街です。
東急ハンズの2軒隣、築50年の古いビル。アート系のさまざまな人が集う活動拠点「OYOYO まち×アートセンターさっぽろ」では、僕もたくさんの人と出会うことができました。ほかに、古本とビールのお店(!)もあります。
市電に乗る人ならきっと誰もが知る「人形屋佐吉」。
いつも閉まっている印象があるのですが、油断すると、たまに開いています。
ところどころに残る「昭和」。
「声」「声」「声」・・・の看板でおなじみの純喫茶「声」は、映画「探偵はBARにいる」のロケにも使われました。雰囲気ありますね!
■サンキチさんが晴れなら札幌神社は雨
西8丁目の電停からほど近い「三吉神社」。正しくは「ミヨシジンジャ」という名なのですが、市民は親しみを込めて「サンキチさん」と呼びます。
5月15日が例大祭。境内にびっしりと露店が並びます。また、「サンキチさんが晴れなら札幌神社(北海道神宮)は雨」といわれ、ちょうど1ヶ月後の北海道神宮例大祭(札幌まつり)と「天候が真逆になる」というジンクスが、札幌っ子の間では昔から有名です。
5 【中央区役所前】
円柱型のホテル建つ
区役所前からほど近く
ミュンヘン市との友情を
伝えるドイツのマイバウム
■マイバウム
マイバウム(maibaum)は、ドイツ語で「5月の木」という意味で、高い木にさまざまな飾りを付けたもの。ドイツでは5月の祭りにマイバウムを飾り、その周りで歌や踊りを楽しむ慣わしがあります。
大通公園(11丁目)には、高さ25mの大きなマイバウムのモニュメントがあります。
これは、オリンピックとビールが縁で姉妹都市になったミュンヘン市から寄贈されたもの。昭和51年(1976年)に設置され、古くなったため平成12年(2000年)に再建されました。
■現存する札幌最古の鉄筋コンクリート建築
西13丁目でひときわ存在感を醸し出すのが、三誠ビル。
大正13年(1924年)に建てられた、現存する札幌最古の鉄筋コンクリートの事務所ビルです。シンメトリーのデザインと、窓周りの細かい装飾が、重厚な雰囲気を醸し出しています。元々は旧薮商事の事務所でした。1階にはカフェ、2階にはゆっ
たりできる古本屋さんが入居しています。
■ショッピング一条
この建物の風格に、まずしびれます。
この日、建物内はたまたまお休みでしたが、ちゃんと営業しています。ここはいわゆる「市場」。建物内部には、個人商店が並んでいます。スーパーマーケット
が普及する以前には、よく見かけた店舗です。昔は「一条市場」と呼ばれ、あの「二条市場」に次ぐ歴史があるんだそうです。
6 【中央区役所前】
真直ぐに見ゆる山肌に
大倉山の シャンツェあり
カンテの下に誇らしく
五輪マークは輝けり
■大倉山シャンツェが正面に
電車が向かう正面やや右寄りに、大倉山シャンツェが見えます。
夜はライトアップされるので、闇の中に浮かび上がって見えます。これほど都心から近いシャンツェは、世界的にも珍しいのだとか。
7 【西15丁目】
円山行きと西線の
分岐も今はなけれども
曲がる軌道の周りには
医療機関の数多し
■円山行きと西線の分岐跡
南1条西15丁目では、昭和48年(1973年)まで、西方向に直進する一条線(円山公園方面行き)と、南に曲がる山鼻西線とが分岐していました。歴史の
古い円山行きの方が「本線」、山鼻西線の方は「ローカル線」のような扱いだったのですが、その「本線」の方が先に消えてしまいました。
大正から昭和初期にかけて、市民の気軽な行楽地と言えば円山周辺でした。円山公園の桜、三角山でのスキー、界川にあった「札幌温泉」などに向かう乗客で、電車は満員だったといいます。
■病院城下町
西15丁目周辺には、札幌医大病院、NTT札幌病院、中村記念病院を中心に、大小さまざまな医療機関が集積しています。
さらに、調剤薬局はもちろんのこと、お見舞いの需要からかお菓子屋さんも多く、さながら「病院城下町」のようです。
電車はここから左に曲がり、藻岩山の麓を目指して南下します。
今回はここまで!
「札幌市電唱歌」との散歩は、まだまだ続きます!
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