2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
フォト

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 進駐軍専用スキー場跡(札幌・藻岩山) | トップページ | 「北海道鉄道唱歌」の旅(2) 【港町物語】 »

2011年7月24日 (日)

「札幌温泉」-元祖リゾート開発の夢の跡(札幌・界川)

ここ数年の間に、札幌にも温泉やスーパー銭湯がずいぶん増えました。
でも、旭山記念公園のすぐ近くに、大正から昭和初期のわずか数年間だけ存在した「温泉」があったことをご存知ですか?

それが、これ。その名も「札幌温泉」です。
Photo

場所は、旭山記念公園の駐車場に向かう、南9条通(旭山公園通)沿いの界川地区。児童養護施設「南藻園」がある辺りです。前回のスキー場の記事でご紹介した、先輩のIさんと一緒に現地に行ってみました。

上の写真を細かく見てみましょう。背後の山の稜線から、上の写真はこの方向を撮影していると推測されます。
Photo_2

南藻園のグラウンドが一段高くなっている辺りに、温泉の建物があったのではないでしょうか?

近づいてみると、古いコンクリートの残骸が残っています。
Photo_3

また、古そうな切り株を発見。位置関係から考えて、古い写真の建物の右手にある樹木かも知れません。
Photo_4

地図で表すと、このようになります。
Photo_5

今回はこの「札幌温泉」の、とても夢のある計画と、残念な結末のお話です。

■夢の温泉開発プロジェクト

大正10年(1921年)ごろ、立憲政友会の代議士であり、十勝で牧場を経営していた高倉安次郎らが発起人となり、札幌郡円山村(現:札幌市中央区)の界川地区に、温泉を中心とした別荘地開発・宅地開発をはじめとする大規模な開発プロジェクトを立ち上げました。

ところが、まだ掘削技術が未熟だったため、現地で温泉を掘り当てることはできず、何と、30km以上離れた定山渓温泉から、パイプラインで湯を引き、それを再度沸かすという、現在では考えられない方法がとられました。

ともあれ、大正15年(1926年)5月9日、「札幌温泉」がオープン。豪華な洋風の鉄筋コンクリート2階建ての温泉施設は、当時の札幌っ子を驚かせました。
Photo_6

Photo_18

札幌市街を一望できる展望バルコニーが設けられ、人気を博したといいます。
1

食事処や宿泊設備、300人の宴会が可能な大宴会場を完備。また、子どものためにミニ動物園を設け、ヒグマも飼育していました。
Photo_7

館内は和風で豪華絢爛。現在の温泉施設にもよく似ています。
Photo_8

当時のパンフレット。
2

1_2

現在の温泉と変わらないサービスもあれば、時代を感じさせるサービスもあって面白いです。「定山渓よりも近い温泉」というもの珍しさも手伝って、多くの市民が押し寄せました。

■「温泉電車」の敷設

市内から近いとはいっても、最も近い市電停留場から2km以上離れていたため、札幌温泉では独自に路面電車を敷設することを計画。そのための会社「札幌温泉電気軌道」を設立し、札幌市電「円山3丁目」電停と札幌温泉とを結ぶ2.2kmの路面電車の敷設特許を取得、昭和4年(1929年)6月末に運行を開始しました。電車2両を導入し、単線の路線をピストン輸送していたものと思われます。

その路線図を、現代の地図に書き入れてみました。
Photo_9

大きな道路を通らずに無駄にクネクネとした路線に見えますが、この辺りの大きな道路が建設されるのはずっと後、札幌オリンピック直前のことです。

しかし、終点の「温泉下」電停は、温泉から微妙に離れた場所にあり、電車を降りた客は、約400m、高低差30mの急な坂道を歩かなければなりませんでした。札幌温泉電気軌道の車両は35kw級のモーター2個を装備しており、当時の札幌市電の最新車両(18kw級モーター)に比べて馬力があったとはいえ、この最後の急坂を登らせるのは技術的に難しかったのでしょう。さらに、除雪車両を持っていなかったため、冬は電車を動かせず、馬そりで乗客を運んだそうです。

初年度は約6万7千人の運輸実績(当時の札幌市の人口は13万人)をあげ、札幌温泉はさらに大繁盛。お客さんからもらうご祝儀で、仲居さんの着物は膨らんでいたといわれています。勢いに乗った札幌温泉の幹部は、もっと利用客を増やそうと、電気軌道を琴似駅や山鼻方面に延伸することを計画。さらにはロープウェイの開発計画まで打ち出したのでした。

もし、これらが実現していたら、山鼻や藻岩地区は、現在とは違う発展の仕方をしていたかも・・・。そんな空想をすると、何だかワクワクしませんか?

■「温泉電車」の路線跡を歩く

その「札幌温泉電気軌道」の路線跡を、先輩のIさんと一緒に歩いてみました。
「札幌温泉」跡地から、坂道を400mほど下った交差点が、「温泉下」電停跡。ここで電車を降り、温泉まで歩くのは、高齢者にはかなり厳しかったと思います。
Photo_10

坂道を下り、啓明中学校のところが「南九条」電停。ここで、斜め左に入ります。「斜め」なのは、実は9条通の方であって、この南北の通り(西26丁目通)の角度は、札幌都心の南北の街路と同じです。
Photo_11

環状通と西25丁目通が分岐する賑やかな交差点が「南八条」電停。当時は環状通などなく、もっとのどかだったはずです。
Photo_12

電車は「南七条」電停で左折し、旧琴似街道に入ります。
Photo_13

すぐに旧琴似街道と別れ、現在のパールモンドール前にあった「南六条」電停からは、まっすぐ北に向かいます。
Photo_14

電車通の面影がまったくない「南三条」電停跡。中島みゆきさんの歌に出て来るのは、この付近でしょうか?
Photo_15

そして、大通にぶつかるところが終点の「南一条」電停。目の前を、札幌市電の一条線が走っており、この交差点に「円山三丁目」電停がありました。左が円山公園方面、右が三越前方面です。
Photo_16

電車が存在した期間があまりに短かったため、全線を通じて、沿線が電車によって「街」として成熟した形跡はまったくありませんでした。なぜ、短期間で消えてしまったのか、再び「札幌温泉」のお話に戻ります。

■早くも狂い始めた計画

温泉が大繁盛している一方で、肝心の宅地開発や別荘分譲の方は人気が今ひとつでした。単線で、しかも冬には運休してしまうような電車では、日常生活のアクセスとしては不便だったのです。しかも、そもそも当時の札幌には、リゾート地に別荘を買うような富裕層はほとんどいませんでした。

当初の「温泉を中心とした宅地開発」という目論みは、どうもうまくいかなかったようです。
そして、予想外の出来事が追い討ちをかけます。

■「温泉電車」の悲運

札幌温泉電気軌道開業の翌年の昭和5年(1930年)、漏電による火災で、電車の電力を供給していた変電所が全焼。電車を動かすことができなくなってしまったのです。

そこで、札幌温泉側は札幌市に相談。札幌市電の架線から電力供給を受けて、社名を「札幌郊外電気軌道」と改め、何とか営業を再開しました。ところが今度は、札幌市への料金支払いが続かず、給電を止められる事態となりました。このため、ガソリンエンジンで動く34人乗りの車両1両を代理店から借り入れて導入。変電所復旧までの期限付きで、ガソリン動車の使用認可を得て運行を再開しました。

しかも、このガソリン動車を貸した「代理店」を経営していたのは、当時の札幌郊外電気軌道(旧・札幌温泉電気軌道)の社長で、明らかに法外な値段で貸し付けていました。どうも、怪しい臭いがしてきましたね。

結局、ガソリン動車を「代理店」から借り続ける限り、社長の懐に金が入る仕組みになっており、焼失した変電所を復旧する気はゼロだったようです。

また、ガソリン動車のエンジンは、それまでの電車のモーターに比べて力が弱い上、ブレーキがハンドブレーキ一つだったことから、鉄道省からは、界川地区の勾配区間での運行は不適切と判断されてしまいます。そのため、途中までの平坦区間に限っての運行許可が出されますが、札幌郊外電気軌道(旧・札幌温泉電気軌道)はこれを無視。強引に全区間を走らせていました。

1両のみで予備車がなかったこともあり、もともと運休していた冬季のほかにも、車両故障や検査のために無断で運休することが少なくありませんでした。

■ついに尽きた「札幌温泉」の命運

不運はさらに重なります。世界的な金融恐慌の嵐が吹き荒れ、日本は空前の不景気に突入。札幌温泉の客は激減し、別荘地開発も完全に失敗。札幌郊外電気軌道(旧・札幌温泉電気軌道)の乗客も減少しました。この間、定山渓鉄道が電化され、定山渓までの所要時間が短縮したことも、札幌温泉の人気低下に拍車をかけました。

悪いことは重なるもの。同じ年、定山渓温泉から湯を引いていたパイプラインが損傷し、札幌温泉は開業わずか4年目にして、「お湯が出ない」という最悪の事態に陥ります。すでに修理費用も捻出できないことから、間もなく廃業に追い込まれました。

温泉廃業後も、札幌郊外電気軌道(旧・札幌温泉電気軌道)はしばらく営業を継続していました。しかし、温泉客がいなくなったことに加え、開拓目的の鉄道ではないことから北海道拓殖鉄道補助を受けることもできず、経営状態はみるみる悪化。3年後には無許可のまま運休状態となり、最終的には、そのことで鉄道省から特許を剥奪されるという不名誉な結末を迎えてしまいました。

■その後

こうして、時代を先取りし過ぎた温泉リゾート開発の夢は、わずか数年で終わってしまいました。
札幌温泉のあった辺りはいつしか「温泉山」と呼ばれ、建物の廃墟は、戦後まで残っていました。昭和28年(1953年)になって、跡地が鉄道弘済会に売却され、建物はようやく解体。児童養護施設「南藻園」が建設されました。
Photo_17

いま、かつての温泉の賑わいや騒動など何もなかったかのように、静かな住宅街となっている界川地区。時代の流れを見守って来た古いコンクリート土台や切り株は、60年後のバブルとその崩壊を、苦笑いしながら見ていたのかも知れません。

【参考資料】
Webサイト「北海道の産業遺産」「Wikipedia」「北海道建築士会札幌支部」「札幌古地名」「絵葉書の世界」
ニコニコ動画「【迷列車】温泉〜無謀のルーツ【札幌編】」
札幌市教育委員会編:さっぽろ文庫22「市電物語」
札幌LRTの会編:「札幌市電の走った街今昔」(JTBキャンブックス)
日本鉄道旅行地図帳編集部編:「日本鉄道旅行歴史地図帳1号・北海道」(新潮社)
ほか

by 無料ブログパーツ製作所
[PR]

« 進駐軍専用スキー場跡(札幌・藻岩山) | トップページ | 「北海道鉄道唱歌」の旅(2) 【港町物語】 »

札幌」カテゴリの記事

コメント

「南6条西23丁目付近の交差点の構造の不自然さは何故なんだろう?」って謎が、今ようやく解けた。

大ちゃんありがとう!
あの旧琴似街道も、古い店があったりして、ちゃんと歩くと面白いかもね。

旭ヶ丘に住む者です。
札幌温泉や軌道の話は以前から興味がありましたが、まとまった資料もなく南藻園付近にもこれといった遺跡も見当たらず、長年モヤモヤしていました。
記事を拝読してやっとスッキリしました。ありがとうございました。

あらきさま、ありがとうございます!
存在した期間があまりに短か過ぎたために、なかなか資料がないんですよね。
何か新しい情報がわかれば、随時更新させていただきます!

北海道と言えば、そろそろジンギスカンがおいしい季節ですね~( ̄ー ̄)ニヤリ

大変面白いお話、ありがとうございました!

わたしは小樽出身なもので、今の職場(南14西15にあります)から見える、明らかにスキー場、でも営業はしてないっぽい、山の景色が不思議でしょうがありませんでした。でも4歳の子を連れて探し回るわけにもいかず…

タクシーの運転手さんに聞いても「荒井山でないの?」とかいわれちゃうんですよねー。南14から荒井山が見えるわけありませんから(苦笑

ここ最近の謎がとけてすっきりしました!これからもブログ楽しみにしてます(^ ^)

参考動画の作者です。私の動画でお座なりだった部分の調査をここまでしてくださって本当に素晴らしいと思います。

それとこれは後の調査でわかったことだったのですが、どうやら高倉安二郎は代議士ではなく、衆院選に敗れてその反動でこのリゾート施設を建設したらしいのです。

お久しぶりです。
中学校の時生徒会を一緒にやっていたS理恵子の母です。
娘に言われてブログ見ました。
札幌にいらしたのですね。
駅前十街区で和田君の顔を見て「わっ和田君だ、懐かしいねえ~」と昔のままの笑顔に嬉しくなってコメント書きました。

ブログ楽しみにしています。
私のブログもお暇なら覗いてみてください。
「あっこと川柳しよう」です。

この街で生まれ半世紀。温泉の話は聞いたことがありましたが、サイトを拝見し改めて興味がわいてきました。定山渓〜界川のパイプラインはどこを通っていたのでしょう。ぜひ教えて頂きたいものです。

仙台に住む昭和5年生まれの叔父は、子どもの頃山菜採りに11条通を山に向かって登っていくと、巨大な建物の朽ち果てた廃墟があったと語ってくれました。

詳細な調査、すばらしいです。 
「藻岩温泉」の写真はかきや、軽川(現手稲)にあった「瀧の澤温泉」の         
写真郵便はかき(はがきでなく、はかきの時代)が手元に(実家から入手)ありますが、
昔の人も今も、”温泉好き”であったこと、よくわかります。 
楽しく読まさせていただきました。

札幌に3ヶ月前に引越してきて、北海道神宮で島義勇判官様の銅像を見てから、札幌の歴史に非常に興味を持ち始め こちらのブログはたどり着きました。

他の記事も読ませて頂きます。
ありがとうございます(^_^*)

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1539157/40944529

この記事へのトラックバック一覧です: 「札幌温泉」-元祖リゾート開発の夢の跡(札幌・界川):

« 進駐軍専用スキー場跡(札幌・藻岩山) | トップページ | 「北海道鉄道唱歌」の旅(2) 【港町物語】 »