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2011年10月16日 (日)

「北海道鉄道唱歌」の旅(2) 【港町物語】

「鉄道唱歌」が作られたのは明治時代。
子供たちが楽しく地理を学べるように、というのがそもそもの狙いだったそうで、沿線の地理や歴史、伝説、産業などがふんだんに歌い込まれています。そんな事情からか、ときには鉄道線路からかなり離れた地名が現れることがあります。

      

     ●北海道鉄道唱歌「南の巻」・7番

    馬車の便ある 本郷の
    十四里西に 江差あり
    岩内 寿都
(すっつ)と 諸共に
    北海屈指の 良き港


      【大和田建樹作/明治40年(1907年)】

道外の方には聞き慣れない地名ばかりですが、「本郷(渡島大野)」「江差」「岩内」「寿都」は、お互いにかなり離れています。
Photo_26

北海道の鉄道網は、最盛期に比べるとずいぶん寂しくなってしまいました。でも、長距離バスが意外に充実しているのも北海道の特徴。ありがたいことに、僕のようなペーパードライバーでも、時刻表と首っ引きで計画さえ練れば、道内のほとんどの場所にたどり付くことができるというわけです。
そんなわけで、「北海屈指の良き港」の104年後を歩いてみました。

■間もなく大変身する、旧「本郷」駅
北斗市

函館本線の七飯と大沼の間にある、渡島大野駅。
104年前に「本郷」と呼ばれ、江差行きの馬車が出ていたのはこの駅です。

Photo_2

現在、駅前からは函館市内方面へのバスが出ているだけ。江差への交通の起点は、函館駅と八雲駅に変わりました。このあたりは道南屈指の農業地帯で、雄大な田園風景の中に80年代ペンション風(?)の可愛らしい駅舎がポツンと建っています。

しかし、この駅は間もなく化けます。
なんと、2015年(予定)の北海道新幹線函館開業で、この渡島大野駅が終着駅「新函館」になるのです。
これがその完成予想図。大出世ですよね。

Photo_3

その北海道新幹線。新函館から札幌の延伸は、どうやら絶望に近い情勢です。僕個人としては、新函館が終点のままでよいと思っています。地域の「交通弱者」や、貧乏旅行の若者にとって大切な足である在来線を守りたいのです。函館が「通過駅」ではなく「終着駅」になることで、本州からの人の流れが増え、札幌と肩を並べる大都市になるのも面白いですよね。


■蝦夷地の宝、江差港

江差町

函館から普通列車で約3時間、JR江差線の終点が江差駅です。
Photo_4

江差線は、鉄道唱歌から29年後の昭和11年(1936年)に全線開通。それまでの馬車輸送に代わりました。戦後は赤字路線となりましたが、途中の木古内駅までの区間が、青函トンネルに繋がる大幹線になっているため、廃止されずに生き残った路線です。2015年の新幹線開通後は、おそらく廃止されてしまうでしょう。

「えさし」という地名は、北海道と東北にいくつかあります。道南の日本海に面した「江差町」、道北のオホーツク海に面した「枝幸町」、岩手県奥州市の「江刺地区」がそれで、いずれもアイヌ語「エサウシ」(頭を海・川に突き出しているところ)の音訳だと言われています。

これが江差の全景。「鴎島」と呼ばれる陸繋島が、本土から海に向かって突き出すような地形。まさに「エサウシ」です。
Photo_5

首都圏の方は江ノ島を思い浮かべ、フランスの方はモン・サン・ミッシェルを思い浮かべそうです。そういえば、函館市もこんな形をしていますよね。
Photo_6

江差は、江戸時代から和人が住んでいた港町。
Photo_7

ニシン漁や北前船の交易で、「江差の五月は江戸にもない」といわれるほどの繁栄ぶりだったといいます。
その名残を感じさせるのが、海の守り神「姥神大神宮」。
Photo_8

そして、北海道最古の祭り「姥神大神宮渡御祭」。
Photo_9

毎年8月9日〜11日の3日間、13基の豪華な山車が練り歩きます。江差出身の人は、正月ではなくこの祭りの日に帰省するそうです。7日ごろから江差の人口が急増しはじめ、10日、11日の両日には、各家庭の人数は数倍にも膨れあがり、久しぶりに若者が目立つようになります。近隣の町まで含め、旅館という旅館はすべて満員に。家々では豪勢なごちそうが大量に用意され、「結構なお祭りですね」という合言葉(?)さえ言えば、見ず知らずの家に上がり込んで宴会に参加できるのだとか!?

姥神大神宮の界隈には、かつての繁栄を伝える建物が残っています。
Photo_10

空気を読んだ北海道新聞社の新しい建物、GJです。
Photo_11

歌うのが恐らく日本一難しい民謡「江差追分」。
Photo_12

こんな歌詞がありました。

 蝦夷の前浜 鰊が群来(くき)て 勇む舟子の 大漁節
 曳けや浜から 黄金が上がる 黄金千石 二千石

そんな江差町も、漁業不振や若年層の町外流出で、人口は最盛期の3分の2。過疎地域の指定を受けています。


■あなどれない奥深さ、岩内港

岩内町

アイヌの人たちが「イワウ・ナイ」(硫黄の川)と呼んでいた岩内町。
Photo_13

母が昔、岩内の中学校で教育実習をしていたと聞いたことがあります。

そんな、因縁浅からぬ岩内へは、札幌駅のバスターミナルから「高速いわない号」で向かいました。本数も多く、予想以上に便利。小樽駅前からは補助席まで満員になり、岩内にこれほどの集客力があるのかと驚いていたら、ほとんどの乗客が余市で降りました。なるほど。

岩内に通じる鉄道は、昭和60年(1985年)に廃止されました。航空写真を見ると、かつての線路跡が今でもはっきりとわかります。
1966_2

2011_2

かつて駅だった場所が、バスターミナルと道の駅になっていました。
Photo_14

岩内漁港。ホッケやヒラメがよく上がるそうです。
Photo_15

残念ながら、港の食堂はお休みでした。
Photo_16

道の駅のすぐ隣に、有島武郎の小説「生まれ出づる悩み」のモデルにもなった、岩内出身の画家・木田金次郎の記念館があります。
Photo_17

岩内の風景を、ゴッホを思わせる大胆な筆致で描いた油絵には引き込まれました。バス出発までの時間つぶしのつもりで立ち寄ったのですが、とんだ心得違いでした。いつか、この美術館にじっくり浸りに行こうと思います。

また、なぜか夏目漱石が本籍を置いていたり、中島みゆきが子供の頃住んでいたり。岩内は、話のネタに事欠かない港町でした。

■弁慶岬がある、寿都(すっつ)港
寿都町

岩内から、寿都行きのニセコバスが出ています。
Photo_18

ガラガラのバス(失礼)で思い切り手足を伸ばし、日本海を眺めながら、1時間8分の優雅な旅。

昔、父の運転する車でこのあたりを走ったときには、狭いトンネルが多く、対向車にぶつかりそうで怖かった印象がありますが、今はかなり改良されているようです。
Photo_19

寿都のシンボル、風力発電の巨大風車が見えてきました。
Photo_20

バスターミナルは、岩内のそれと比べるとやや地味。
Photo_21

寿都はアイヌ語「シュプキ・ペッ」(矢の材料にする茅がある川)の音訳。和人の入植後は、ニシン漁で栄えた漁港でした。
Photo_22

大正9年(1920年)には、国鉄函館本線の黒松内駅から寿都までの私鉄「寿都鉄道」が開通。ニシンの輸送だけではなく、旅客輸送も大いに繁盛し、最盛期には年間31万人もの乗客を運んだといいます。ニシン漁の季節には、ニシンの脂で列車がスリップしたというエピソードも。

戦後、ニシン漁の衰退や鉱山の閉山などが相次ぎ、昭和43年(1968年)の豪雨で路盤が流されてしまったのを最後に運行を休止、寿都鉄道はそのまま廃止されてしまいました。

その後、かつて漁師たちを悩ませた全国有数の強風「だし風」を逆手に取り、全国で初めて、自治体として風力発電に取り組み始めました。さらに、風車の製造過程で出る副産物である製鋼スラグと腐葉土の混合物で作られた人工藻礁により、海の環境を再生させ、昆布やウニなどの漁業をも活性化させようとしています。

道の駅「みなとま〜れ寿都」。
Photo_23

北海道は道の駅がとても充実しています。全国に道の駅は977ヶ所ありますが、その1割以上の112ヶ所が北海道にあるそうです。

ニシン漁で繁栄した時代、魚油を取り出すために大量のニシンを煮た「ニシン釜」が展示されています。
Photo_24

さらに、寿都市街から少し離れた岬へ。
このシルエット、そう、弁慶です。
Photo_25

この「弁慶岬」には、源義経と弁慶が逃れてきたという言い伝えがあるのです。
その言い伝えによれば、奥州を逃れた義経・弁慶一行は蝦夷地に渡り、この地に滞在していました。弁慶の舎弟ともいうべき常陸坊海尊が、義経再挙の兵を募って蝦夷へ向かったという情報を得た弁慶は、毎日毎日、この岬の先端に立って海尊の到着を待ったものの、ついに海尊軍団の船影を見ることはできませんでした。そんな弁慶の姿を見ていたアイヌたちは、この岬のことをいつしか「弁慶岬」と呼ぶようになったのだそうです。

でも、実際の所は、アイヌの人たちがこの岬の先端(岩が裂けたように見える)を「ベルケイ」(裂けたところ)と呼んでいたのを、和人が「ベンケイ」と聞き違えた、というのがどうやら真実のようですが・・・。

寿都ターミナルから再びニセコバスに揺られ、ジャガイモ畑の中をJR函館本線の黒松内駅へ。黒松内からは汽車に乗り、途中の昆布温泉で汗を流したりしながら、小樽乗り換えで札幌に戻ったのでした。

今回はここまで。「鉄道唱歌の旅・北海道篇」は、まだまだ続きます

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