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2011年11月

2011年11月15日 (火)

【お知らせ】 「Sapporo Ustbar」で紹介した古地図

11/14(月)の「Sapporo Ustbar」をご覧いただき、ありがとうございました。
服部さん、森さん、スタッフの皆さんには本当にお世話になりました。

話していて盛り上がり過ぎて、かなり時間をオーバーしてしまいました。
次回は12月のどこかの月曜日、「札幌の地図に歴史あり/後編」をお届けします。
詳しくはまたあらためてお知らせします!

sapporo6h 「Sapporo Ustbar」
こちらでアーカイブをご覧いただけます
 ↓          ↓
http://www.ustream.tv/channel/sapporo6h


■今回の放送の中でご紹介した古地図

【明治6年(1873年)】
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【明治24年(1891年)】
24_2

【大正14年(1925年)】
(右が北になっています)
14_2

【昭和29年(1954年)】
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2011年11月12日 (土)

【お知らせ】 USTREAM「Sapporo Ustbar」に出演します。

Photo_26
いつもブラサトルを読んでいただきありがとうございます!
実は、あの
sapporo6hさんのUSTREAM番組「Sapporo Ustbar」で、このブラサトルについて3回にわたってお話させていただくことになりました。

「Sapporo Ustbar」は、札幌の「今」を届け続けているsapporo6hさんが毎週月曜日の夜に放送している「完全参加型Ustream中継」番組。「セイコーマート」「札幌架空鉄道」など、札幌の旬なテーマを、タイムラインとリアルタイムに対話しながら熱く掘り下げています。

今回の番組では、ブラサトルがこれまで取り上げた札幌の歴史や鉄道唱歌の旅について、また札幌・北海道の地理や交通史などについて、ゆるーい感じでお話ができればと思っています。大正14年(1925年)と昭和29年(1954年)の札幌の地図もじっくり鑑賞します。

放送中はどなたでも、Twitterなどのアカウントでタイムライン(画面上での会話)にご参加いただけます。また、会場でご観覧いただくことも可能です。

1回目は11/14(月)の20時から。
どうぞご期待ください!


■放送予定■


sapporo6h 「Sapporo Ustbar」
こちらでご覧いただけます
 ↓          ↓
http://www.ustream.tv/channel/sapporo6h

【1回目】
11/14(月) 20:00〜21:00ごろ
「札幌の地図に歴史あり/前編」

【2回目】
12月中の月曜日(日付未定) 20:00〜21:00ごろ
「札幌の地図に歴史あり/後編」

【3回目】
1月中の月曜日(日付未定) 20:00〜21:00ごろ
「『鉄道唱歌』編」

2回目以降の放送日は、決まり次第お知らせいたします。
どうぞよろしくお願いいたします!

■会場でご観覧いただく場合■

場所:OYOYO(札幌市中央区南1条西6丁目 第2三谷ビル6階)
http://www.oyoyo16.com/top/about_access/
時間:開場 19:00 中継スタート 20:00~
料金:入場無料

■sapporo6hさんのホームページ■

http://www.sapporo6h.com/

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「北海道鉄道唱歌」の旅(3) 【羊蹄山の巻】

早朝6時12分に札幌駅を発車する、小樽方面・然別(しかりべつ)行き普通列車。小樽の先まで直通運転している、今では1日にたった1本になってしまった定期列車です。
Photo

見慣れた電車ではなく、ローカル線の香りがする2両編成の気動車が、エンジンを吹かしながらトコトコと走ります。


■「函館本線」

「函館本線」は、小樽を境に、同じ路線とは思えないほどガラリと変わります。札幌-小樽間は最新式の電車が頻繁に往復しているJR北海道のドル箱路線。一方、小樽から先は非電化の単線で、1日わずか数本しか列車がありません。
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小樽経由の「函館本線」が札幌-函館間のメインルートだったのも、今は昔。函館行きの特急列車は、千歳や苫小牧の方を経由するようになりました。それでも、函館本線には長大なホームや広い敷地をもつ駅が多く、かつて北海道の大動脈として華やかだった時代の名残があります。

然別駅。この長いホームに停まるのは、1両か2両編成の気動車が1日数回だけ。
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でも昔は、たくさんの旅客を乗せてSLに牽引された長い列車や、ニシン・木材などを満載した貨物列車で賑わっていたのでしょう。

函館本線には今でも、他のローカル線とはどこか違う、「風格」が漂っています。


■蝦夷富士・羊蹄山

非電化の路線には邪魔な架線や支柱がないので、車窓からの眺めは電化路線よりも数段上です。
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エンジンを吹かしながら、ゆっくりと峠を登る気動車。狭い谷と短いトンネルが繰り返される風景に息苦しくなってきたころ、突然、パッと視界が開け、目の前に羊蹄山が現れた瞬間、思わず震えます。
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●北海道鉄道唱歌「南の巻」・14番

  
仰ぐ雲間に 雪白く
  
積もるは蝦夷富士(えぞふじ)羊蹄山(ようていざん)
  
登れ人々 陸奥湾(むつわん)
  
一目に見ゆる高嶺(たかね)まで
  
  
【大和田建樹作/明治39年(1906年)】

「鉄道唱歌」が作られた明治時代、ここは当然、函館-札幌間のメインルートでした。
大和田建樹は函館側から旅をしているので、「羊蹄山が見える瞬間」が札幌側から来た僕とは少し違います。それでも、彼はよほど感動したらしく、14~17番を使って、羊蹄山とその麓の様子を描いています。


余談ですが、「鉄道唱歌」の歌詞には、大和田建樹の個人的な興味が色濃く反映されています。有名な「東海道編」でも、かなりの区間を大胆に飛ばしている一方、鎌倉は6~9番、京都に到っては46~53番まで使ってじっくりと歌われています。

高さ1,898mの羊蹄山は、富士山によく似ているので蝦夷富士(えぞふじ)とも呼ばれます。
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鉄道唱歌の歌詞を忠実にたどるならば登頂し、山頂から見える陸奥湾をカメラに収めるべきなのですが、以前、藻岩山の200m地点に登るだけで息絶え絶えになったという体たらく。今回は許してください・・・。


■なぜ「ヒツジのひづめ」なのか?

ところで、なぜ「羊蹄=ヒツジのひづめ」なのでしょうか?

アイヌ語で「マッカリ・ヌプリ」と呼んでいたこの山に、最初に付けられた和名は
「後方羊蹄山(しりべしやま)」といいました。「後方」「しりべ」と読み、「ギシギシ」という植物の中国名「羊蹄」「し」と読ませる、超難読地名だったのです。

日本書紀に、阿倍比羅夫(あべのひらふ)が斉明天皇5年(659年)に蝦夷地に渡り、「後方羊蹄(しりべし)」という場所を支配したという記述があります。難解な漢字表記は、日本書紀が由来だったのですね。ただ、これが果たして史実なのか、また「後方羊蹄(しりべし)」がどの場所を指すのかは、実は今でも謎のままだそうです。

江戸時代の終わりに北海道を探検した松浦武四郎が、この付近を流れる大きな川をアイヌの人たちが「シリ・ペッ」(山の川)と呼んでいる(現在の尻別川)ことを知り、ここが日本書紀に書かれた「後方羊蹄(しりべし)」なのではないかと考えました。
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彼はこの地を「後志国(しりべしのくに)」、その中心にあるマッカリ・ヌプリを「後方羊蹄山(しりべしやま)」と名付けました。

同じ「しりべし」でも漢字が違います。「国名は漢字二字でなければならない」という奈良時代以来の決まりがあったようで、国名は
「後志(しりべし)」、山名は「後方羊蹄(しりべし)」という、非常にややこしい状況が生まれてしまったのです。ついでに言うと、川の名前はなぜか「尻別(しりべつ)」と宛て字されたので、さらにややこしい!

国名の「後志国」は何かと目にする機会も多く、次第に人々の間に定着しました。しかし、山名の「後方羊蹄山」は、あまりにも難し過ぎて定着せず、「こうほうようていざん」と読み間違えられ、略して「羊蹄山(ようていざん)」と呼ばれたり、俗称で「蝦夷富士」と呼ばれることが多かったようです。鉄道唱歌では「蝦夷富士羊蹄山」と呼ばれ、大正9年(1920年)発行の5万分の1地形図「留寿都」には「後方羊蹄山(蝦夷富士)」と記載されています。

戦後になり、「読めない山名では困る!」と動いたのが、地元の倶知安町。読み間違いではあるもののなんとなく定着していた「羊蹄山(ようていざん)」を正式名称にするよう国土地理院に働きかけ、昭和44年(1969年)発行の地形図から書き換えられました。

「月寒(つきさむ)」→本来は「つきさっぷ」、「早来(はやきた)」→本来は「さっくる」など、読み間違いが定着して正式名称になってしまった地名が多い北海道。羊蹄山もその一つだった、というわけです。



■倶知安町

  
●北海道鉄道唱歌「南の巻」・15番

  裾野は倶知安(くっちゃん)の大原野
  ヲンコ 椴松(とどまつ) 楢(なら) 桂(かつら)
  林は天を 打ち掩(おほ)
  面積ほとんど 三十里

  
●北海道鉄道唱歌「南の巻」・16番

  ここを開きて 耕して
  作りし村は 年々(としどし)
  栄えて朝夕 立ちまさる
  煙あまねく 民(たみ)豊か

  
【大和田建樹作/明治39年(1906年)】

羊蹄山麓の中心都市、倶知安(くっちゃん)町。
アイヌ語「クッ・シャン・イ」(管のようなところを流れ出る場所)、または「クチャ・アン・ナイ」(狩り小屋のある沢)の音訳です。
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羊蹄山に磨かれた地下水は、日本一おいしいと言われています。どうやら「日本一おいしい水」は日本全国にあるようです。
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駅前には、平成103年(2091年)に掘り出すというタイムカプセルが。埋めたのは平成5年(1993年)ですから、スーパーファミコンやPCエンジン、「ロマンスの神様」のCDあたりが収められているのでしょうか?
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倶知安駅周辺は整然とした都会という印象。札幌のような碁盤の目の市街地に、条・丁目が割り振られています。とても大きな総合病院があり、ニセコのスキー場で怪我をするとここに運ばれます。そう言えば今年の2月に、友人を運んだばかりです。
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市街地の外に一歩出てみると、そこは今でも北海道屈指の農業地帯。じゃがいもの王国です。
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豊富な水と肥沃な土壌に恵まれた倶知安は、おもに徳島県からの移民たちが開墾しました。
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天を打ち掩(おお)う林も、明治時代から変わっていません。
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豊かな森と川に囲まれた倶知安町やニセコ町は、アウトドアの聖地。来年の夏こそは、尻別川を豪快に下ってみたいと思っています。カヌーは難しそうですが、みんなでラフティングというのも楽しそうですね!
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■雪に埋まる線路

倶知安の短い夏が過ぎ・・・
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秋が過ぎ・・・
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そして冬が来ました。
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●北海道鉄道唱歌「南の巻」・17番

  されど秋過ぎ 冬の来て
  北風 雪を吹くときは
  汽車行く道さへ 埋(うず)もれて
  寒さに泣くは 此(この)附近

  
【大和田建樹作/明治39年(1906年)】

ひたすら、白の世界です。
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倶知安・ニセコは、北海道の中でも特に雪が多いことで知られています。「東洋のサンモリッツ」と呼ばれ、スキーヤーやボーダーにとっては天国のようなところです。
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ここ数年、オーストラリアの人がずいぶん増えました。口コミで人気が広まり、真夏の南半球から真冬の北海道に、パウダースノーを求めてたくさんの人がやって来ます。平成18年(2006年)には、東京・名古屋・大阪をさしおいて、何と倶知安町が住宅地地価上昇率日本一に躍り出たこともありました。

でも、それはあくまで現代の話。
猛烈な寒さと雪は、開拓民たちを大いに苦しめました。越冬を断念して暖かい故郷に帰った人もいれば、冬の間に命を落とす人も少なくなかったと言います。
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北海道の鉄道には、最初の頃は除雪技術がなく、線路が雪に埋まってしまう冬は運休するのが当たり前でした。
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明治中期頃には、貨車に除雪用の前すきなどの装置を取り付けた「雪かき車」が使用されていた記録がありますが、本格的な除雪車の導入は明治44年(1911年)になってから。アメリカのラッセル&スノープロウ社からユキ1形(単線用ラッセル車)を購入してからでした。

寒さに泣いた明治の人たちは、寒さと雪が町に豊かさをもたらす時代が来ることを想像していたでしょうか?

今回はここまで。「鉄道唱歌の旅・北海道篇」は、まだまだ続きます。

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