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2011年12月18日 (日)

最初は赤くなかった「テレビ塔」(札幌・大通)

札幌の「条」「丁目」のほぼ「原点」に立つ、テレビ塔。
都心を歩く市民は、腕時計ではなくテレビ塔の電光時計で時刻を確認するといわれています。
Photo_12

高さ147.2m、展望台の高さは90m。
札幌駅のJRタワー展望室(160m)に比べると低いものの、眺めの美しさではテレビ塔に軍配!真正面にまっすぐ延びる大通公園と、シンメトリーな市街地の夜景はこたえられません。


■真っ白だったテレビ塔!?

そのテレビ塔の完成時の絵はがきを見たとき、僕は仰天しました。
004

なんと、真っ白ではありませんか!?
これはカラー写真ではなく、白黒写真に手描きで着色したもの(当時よく使われていた手法)です。でも、テレビ塔の絵はがきでテレビ塔の色を塗り忘れたとは考えられず、実際、これに近い色をしていたことは間違いないのでしょう。

着色していない写真がこちら。
1

札幌市文化資料室所蔵

白黒写真ですが、何となく白っぽい色をしていることはわかりますよね。


さっぽろテレビ塔関係者Sさんからの情報によると、完成当時のテレビ塔は「シルバーメタリック」色だったそうです。それを、後で述べる北国ならではの事情から、赤く塗り替えたのだとか。

ただ、塗り替えた時期がいつなのかについては、わかる人が社内にもいないとのこと。「札幌テレビ塔20年史」(北海道観光事業株式会社/昭和53年)にも、色の変化には一切触れられていません。

いったいいつ、どういう経緯があって「赤」に変わったのか、調べてみました。

■昭和32年、テレビ塔完成

50万都市・札幌にテレビ塔が完成したのは、昭和32年(1957年)8月。
実は、東京タワーよりも1年早かったのですね。
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札幌市文化資料室所蔵

開場前から長蛇の列を作って待っていた市民は、花火の合図とともにドッと入場しました。当時としてはとても斬新なガラス張りのエレベーターで、地上90mの展望台に昇り、初めて見る景観に驚いたり楽しんだり。「もう思い残すことはない」と涙を流すお年寄りもいたといいます。

その当時、展望台から見えたのはこんな風景でした。
Photo_8

札幌市文化資料室所蔵
(開業当時の写真は使えないため、昭和36年の空撮写真)


大通公園の1・2丁目はまだなく、2丁目は北1/3が赤れんがの中央郵便局(後に北4西6に、さらに北6東1に移転)、南2/3は大通バスセンター(後に大通東1に移転)。今の市役所の位置には、中央創成小学校がありました。
Photo_9

札幌市文化資料室所蔵
(こちらは開業時のテレビ塔から撮影)


高いビルがほとんどないので、かなり遠くまで見通すことができます。
塔部分がない道庁赤れんが庁舎(塔部分は昭和43年に復元)や、民衆駅に改築されたばかりで青いタイルを貼る前の札幌駅も見えます。

ちなみに、それまで、一般の人が入ることができる最も高い建物は、丸井今井デパート(一条館)の屋上だったそうです。


■実は名古屋にもある「テレビ塔」

実は、さっぽろテレビ塔にそっくりな塔が、名古屋に存在します。
それがこれ、名古屋テレビ塔です。
Photo_5

さっぽろテレビ塔と同じ内藤多仲氏の設計。3年早く完成し、一回り大きな名古屋の塔は、いわばさっぽろテレビ塔の兄貴分。そっくりなのもうなずけます。

注目したいのがこの色、シルバーメタリックです。完成当時のさっぽろのテレビ塔は、これと同じ色だったのです。
2


■「赤白塗装」の義務はまだなかった

昭和35年(1960年)に改正された「航空法」で、高さ60m以上の塔や煙突には「航空障害灯」を取り付け、昼までも目立つ赤白に塗装しなければならないことになりました。

とは言っても、テレビ塔はすでに3年前に完成済みだったため、この規定は適用されません。事実、同じく完成済みだった名古屋テレビ塔は、今でも完成時と同じシルバーメタリックのままです。また、東京タワーは義務化の2年前から赤白塗装でしたが、これは自主的にそうしたものです。

ではなぜ、名古屋のテレビ塔はシルバーのままで、さっぽろテレビ塔だけが赤く塗り替えたのでしょうか?


■札幌と名古屋の事情の違い

完成から3年後、昭和35年(1960年)のカラー写真。
1960

札幌市文化資料室所蔵

まだシルバーメタリック色のままですが、ところどころ、薄黒く汚れているのがわかりますか?

実はこの汚れ、石炭などの「煤煙(ばいえん)」なんです。
当時、燃料の主役は何と言っても石炭。冬になると一斉に暖房を焚くため、札幌の空は真っ黒な煤煙で覆われたといいます。煤煙は、建物の外壁や公園の彫刻にも大量に付着。それを水で洗い流す作業は、春先の風物詩だったそうです。

シルバーメタリック色では、やはり煤煙汚れが目立ち過ぎます。ひと冬ごとに薄黒くなってしまうテレビ塔の姿に、市民からも「汚い!」と苦情が寄せられてしまうほどでした。

煤煙が付着したテレビ塔の「ペンキ塗り」は春の恒例行事だったようで、「お化粧するテレビ塔−ひと冬のアカをためくすんだねずみ色が、ひとはけごとに明るい空色に染め変えられてゆく。」
[昭和37年(1962年)4月6日付 北海道新聞朝刊] などのように、毎年のように新聞記事になっています。

そしてもう一つ、航空関係者から「シルバーメタリックでは目立たない」という指導があったそうです。
吹雪の日には、シルバーメタリックの塔は「保護色」となり、ホワイトアウトで完全に見えなくなってしまいます。後で作られた法律は適用されないとはいえ、航空関係者からの指導はもっともな話。


「煤煙汚れ」「雪の中で目立たない」という、北国ならではの2つの事情が、札幌と名古屋の兄弟テレビ塔の運命を分けることになったのです。

■イメージ一新の狙いも?

オープンからの1年で100万人を記録した展望台入場者。しかし、2年後の昭和35年(1960年)度は約41万人と、大幅に落ち込んでしまいました。それに加えて、地下にあった劇場の賃貸料が思うように回収できず、売上不振の売店が撤退してしまうなどの事情もあって、テレビ塔は1億6千万円という、当時としては巨額の赤字を背負ってしまいます。

テレビ塔は「公共施設」だという立場で資金を出し、音頭をとって来た札幌市としても、これは見逃せない事態。さっそくテコ入れに乗り出し、昭和36年(1961年)5月の株主総会で経営陣が交代しました。

その後、松下電器から贈られた電光時計(広告看板設置が市の許可を受けられなかったため、『松下電器が時計を市に寄贈する』という形を取った)を設置したり、塔の周りを花や噴水で飾るなどの努力により、人気は何とか回復。昭和37年8月24日の北海道新聞には「どうやら危機を脱す〜赤字に悩んだテレビ塔〜」という記事が掲載されています。

実は、テレビ塔の色が赤に変わったのは、その9ヶ月後のこと。このあたりの経緯や時期から考えて、先に挙げた
「煤煙」「雪」のほかに、「イメージ一新」という狙いも、もしかするとあったのではないでしょうか?

■昭和38年、シルバーから赤(コッパーローズ)に変身


かくして、札幌のテレビ塔はついに色を塗り替えることになりました。
新しい色は、展望台入場者へのアンケート(抽選で東京タワーに招待)により、
コッパーローズ(薄朱色)に決定。

Photo_4

あえて東京タワーのような「真っ赤」ではなく、雪の中でも目立ち、風景にも馴染む色ということで選ばれたそうです。
昭和38年(1963年)4月からペンキを塗り始め、6月に完了。現在の「赤いテレビ塔」が誕生しました。

足場組みに毎日40人がかりで20日、ペンキ塗りには30人がかりで1ヶ月、費用は当時の金額で約700万円(この年、銀行員の初任給は月12,500円くらい)という記録が、新聞に残されています。

塗り替え直後と思われる写真。かつて「東洋一の高さ」といわれた消防望楼(昭和40年に解体)と「赤いテレビ塔」が共存した期間はわずか1年半なので、とてもレアな写真です。実はこの写真こそが、赤く塗り替えた時期を特定する一つの手がかりになりました。
1963_3  

札幌市文化資料室所蔵

シルバーメタリックのテレビ塔を見慣れていた札幌っ子たちは、「赤いテレビ塔」にさぞびっくりしただろうと思うのですが、当時の新聞を隅々まで読んでも、そのような記事は見つかりませんでした。
そのころ、毎日市電で大通公園を横断していた母は、赤くなったテレビ塔に驚いた記憶があるそうです。


■これからのテレビ塔に似合う色は?

その後、何度かの塗り替えを経たテレビ塔。
Photo_13

現在は法律が改正され、「高光度航空障害灯」さえ設置すれば、高さ60m以上の鉄塔でも赤白塗装の義務はなくなりました。そういえば、建設中の東京スカイツリーも真っ白ですよね。

煤煙も、スパイクタイヤの車紛もなくなった今、テレビ塔はかつてのシルバーメタリックに、いや、むしろ真っ白にしてもいいのではないか、と思います。
Photo_14

札幌の雪景色にぴったりだと思うのですが、どうでしょう?



【参考資料】
北海道観光事業株式会社編:「札幌テレビ塔20年史」/昭和53年
札幌市教育委員会編:「さっぽろ文庫32・大通公園」
カラー名称とカラーコード表示の比較一覧【CXMedia】
北海道新聞:昭和33年12月9日、昭和35年9月27日、昭和36年6月4日、7月8日、9月4日、9月21日、昭和37年4月6日、5月29日、7月13日、8月24日、昭和38年5月18日、昭和39年1月20日、昭和44年7月18日
ほか

※2012年1月6日追記

テレビ塔、本当に色変更が検討されることになりました。

Photo_4

北海道新聞 平成24年(2012年)1月4日朝刊

しかも、市民から新たな色を公募することに!札幌のイメージや風景に馴染む色にしたいですよね。

ところで、この記事の中で、鉄塔の色が現在の赤色になったのは昭和44年(1969年)ということになっています。上の方で書いたとおり、シルバーから赤になったのは昭和38年(1963年)であり、道新の記事は間違いではないか、と新聞社に問い合わせをしたところ、回答をいただきました。

■昭和44年、赤色の色味を「クラウディレッド」に変更

昭和38年(1963年)にシルバーから赤色「コッパーローズ」に塗り替えられたテレビ塔は、6年後の補修時期に合わせ、赤色の色味を微妙に変えました。それが、現在のテレビ塔の色「クラウディレッド」です。「コッパーブルー」よりもやや濃いめの赤色です。昭和44年(1969年)の4月に塗装を始め、7月に完了しています。

ややこしいのですが、シルバーから赤になったのは昭和38年(1963年)赤は赤でも現在の色味になったのが昭和44年(1969年)、というわけです。もし来年、赤以外の色に変わるとすれば、「色が変わる」のは44年ぶり、「赤以外の色になる」のは50年ぶり、ということになります。

はてさて、テレビ塔は何色に染まるのでしょうか?

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コメント

昭和29年生まれで57歳なので、シルバー時代のテレビ塔の記憶、、というより小学校の頃に赤く塗られたことの方を記憶しています。確かに電光時計設置も話題になったけど消防の望楼がいつ無くなったのかが思い出せませんでした。そうですか、、昭和40年だったのですね。

重田さん、ありがとうございます!
塗り替えのことを記憶されている方がいなかったので、貴重な証言です。
消防望楼が解体されたのは、昭和40年3月だったようです。私は47年生まれなので当然見ていないのですが、一度見てみたかったですね!

知らない事ばかりでした。
飲み会のネタにさせてもらいます。

佐藤さん、ありがとうございます!
楽しく盛り上がっていただければ、書いた甲斐があります!!

ファイターズカラーの黒と金はどうでしょう?

札幌テレビ塔にパナソニックの広告が掲示されているのは、パナソニックのお膝元である大阪の通天閣の広告掲示で日立に先を越されたという苦い経験があるからではないでしょうか?この辺りはウィキペディアの通天閣のページでそれを窺わせる記述がありますので、ご参考までに(浅草寺雷門の広告主がなぜパナソニックなのか、説明があります)。

昭和32年公開の「挽歌」という映画に、まだ白い(白というより銀色に見えます)札幌テレビ塔が出てきます。映画の撮影時にはまだ上の展望台が取り付けられていないので形も新鮮です。工事中のような足場も組まれておらず不思議な映像です。

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